湾岸戦争の舞台裏:クウェート侵攻とアメリカの石油政策

湾岸戦争は、1990年に世界を揺るがせた大きな出来事であり、その背後には国際政治と石油市場の複雑な相互作用が絡み合っていました。戦争に関する一般的な認識では、イラクがクウェートを侵略し、アメリカ主導の多国籍軍がクウェートを解放したという物語が主流ですが、それ以外にも物語は存在します。
そこで、ここでは湾岸戦争の裏側に潜む問題と、アメリカの石油政策に対するイラクやOPEC(オペック)の視点から詳しく掘り下げてみましょう。

 

クウェートの石油政策と不満

湾岸戦争の背後には、クウェートの石油政策に対するイラクの不満が存在しました。
クウェートはOPEC(石油輸出国機構)の一員であり、石油市場の価格と供給を調整する役割を果たしていました。しかし、クウェートはOPECの合意に違反し、石油生産を増加させ、石油価格を押し下げる行動に出ました。

イラクやその他近隣諸国にとっては石油が主要な収入源であり、当然クウェートの行動はOEPCメンバーに大きな打撃を与え、目を瞑っていられるものではありませんでした。
そこでOPECメンバーはクウェートに対して石油市場の安定を望み、石油輸出国機構としての合意を尊重するよう要求しましたが、クウェートはこれを拒否しました。
これはOPECに対し敵対的な行動と捉えられ、イラクは周辺諸国がやらないなら我々が先陣を切るぞとなり、軍事侵攻へと踏み切ったのです。

 

アメリカの石油政策とへの干渉

アメリカは石油市場において大きな影響力を持つ国です。そのアメリカは、自国の影響力を維持・拡大するためにさまざまな手段を用いました。
当然、世界でも有数の産油地域が加盟するOPECは、価格決定において独自の権利を持つべきでしたが、アメリカが自己中心的な石油政策を進め、OPECの意図に反する形で市場を操作しようとしたのです。

具体的には、アメリカは中東地域における軍事的存在を強化し、同盟国を結びつけ、石油供給路をコントロールしました。これにより、アメリカは石油市場における自身の利益を最優先し、OPECの決定に干渉し、自分たちの利益となるクウェート側に加担していったのです。

 

OPECメンバーの反感とアメリカへの非難

アメリカの石油政策は、OPECメンバーに大きな不満を引き起こしました。多くのOPECメンバーは石油価格の上昇を求めていたのに対し、アメリカは市場を安定化させるという名目で石油価格を低く抑えようとしていました。このため、OPEC内ではアメリカの石油政策に対する強い非難が広まっていました。

当然、イラクもアメリカの行動に強い反感を抱いており、アメリカの中東地域への介入を非難しました。アメリカが湾岸戦争に介入することで、イラクの石油利益が脅かされ、イラクは完全に国際的な孤立を強いられました。(はじめはクウェートに反感を持ち、イラク側に立っていたOPECメンバーも、国際社会の圧力に屈し、強い方についた結果、戦争の構図が形成されました。)
イラクは、アメリカの行動は自国を孤立させ、経済的に打撃を与えるものであると主張しました。

このように湾岸戦争の背後には、国際政治と石油市場の複雑な関係が存在し、アメリカの石油政策にはOPECメンバーからの非難が多く寄せられましたが当時世界で最も軍事的影響力を持つアメリカに対抗することはできなかったのです。

 

まとめ

もちろん国際社会の視点から見れば、いかなる場合においてもイラクによる軍事侵攻は国際法に違反することで、湾岸戦争の正当性に影響を与えるものとなっていますが、偏った視点からもの後をとみるのではなく、なぜ戦争が起きたのかをもう一度よく考える必要があると思います。
偏向報道はどの世界にも存在しますが、こういった記事から、いかなるものにおいても真実が存在する事を知り、探るきっかけとなることを望んでいます。